地動説の発見 ニコラウス・コペルニクス

  • 2017年11月11日
  • 2020年3月23日
  • 歴史
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こんにちは、yukiです。

今日は地動説を唱えた天文学者、ニコラウス・コペルニクスの紹介をしていきたいと思います。

今では地球が自転をしているということは至極当たり前の常識とされていますが、昔は天動説という、地球は動いておらず天が回っているものだと考えられていたそうです。

なので地動説のような考え方は常識どころか、そんな考えはおかしいと異端な意見として扱われていました。

では、そのような世の中でどのようにして地動説は広まっていったのでしょうか、みていってみましょう。

大学で初めて天文学に触れる

コペルニクスはトルン(現在はポーランド)に生まれました。

彼が10歳の時に、裕福だった商売人の父が亡くなり、母親も既に亡くなっていたため、教会で司祭をしている母方の叔父に育てられました。

後にコペルニクスはクラクフ大学に進み、当時の一般的な意見であった天動説に対して懐疑的な意見を持っていた著名な天文学教授に出会い、そこで初めて天文学に触れることとなり、そこからコペルニクスは化学にのめり込むようになりました。

大学を出てからは叔父の仕事であった司祭になりますが、この後にイタリアに複数回留学し、法律と医学と当時医療に必須と考えられていた占星術を学びました。

勉強後は司祭に戻り、聖職者として、また医師としても働くようになった。

その生活の中で時間があるときに天体観測を行い、自身の考えをまとめていったそうです。

そして、理論的裏付けを行い地動説の本を出版するに至りましたが、一般の方に知られることはほとんどありませんでした。

地動説の発表

それからコペルニクスは自分の地動説の考えをまとめ、何度も修正をしていきましたがこれを出版することはありませんでした。

その本について、様々な人からも内容を称賛され出版を進められていますが、それでも出版はしなかったそうです。

ですが、コペルニクスの地動説の話に感銘を受けた勉強熱心な大学教授を弟子にとってからは、弟子の勧めもあり地動説の集大成を作ろうと動き始めました。

そして、とうとう理論の要約をまとめた本を出版しました。

このことで彼の理論は広まり、完成版の出版にも取り組み始めたました。

あとは出版を待つだけとなったのですが、コペルニクスは急に脳卒中で倒れてしまい、半身不随になってしまいます。

その後、仕上がった本がコペルニクスのもとに届いたその日にそのまま息を引き取ったそうです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は地動説を唱えた天文学者ニコラウス・コペルニクスについてみていきました。

彼は大学から初めて天文学に出会い、どんどんその世界にのめり込んでいきましたね。

自分の研究に没頭しながらもしっかりと聖職者と医者もする彼の行動力は凄まじいものを感じますね。

本の出版をもう少し早くしていれば自分の理論が世の中にどれほど浸透していくか見れたのではないかと思ったりもしますが、コペルニクスも自分の理論の集大成を出すことができて満足だったのではないでしょうか。

弟子を取ってなかったり、それ以前に大学で教授に会っていなかったら、彼は本を出版するどころではなく天文学者にもなっていなかったでしょう。

一期一会、人と人の出会いも運命ということでしょうね。

では、今回は以上となります。

また次回のブログでお会いしましょう。

 

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