こんにちは、yukiです。
今日は、伝説の剣豪として有名な宮本武蔵についてみていきたいと思います。
社会の教科書に載っていることはあまりないのに、これだけ一般人に周知されているされている歴史上の人物はほとんどいないのではないでしょうか。
その人気の高さは、小説や漫画、ドラマと様々な媒体で取りげられていることからよくわかります。
実際に合戦の場で自分の戦い方を確立させ、戦国時代を生き抜いた後に熊本の霊巌洞で自分自身の培った兵法の極意をまとめた五輪書を作成したことでも有名ですね。
では、その宮本武蔵どのような方だったのか見ていきましょう。
常勝無敗
武蔵が生きた時代は、安土・桃山時代から江戸時代とちょうど日本が戦国時代と言われている合戦の多い時代でした。
武蔵の初めての決闘は13歳のときと言われており、この勝負に勝利します。
これを皮切りにこれ以降29歳になるまでに60戦近い真剣勝負を行い、全ての勝負に勝利していたそうです。
文章で書くと何でもないようなことに聞こえるかもしれませんが、これはとても恐ろしい記録です。
16年という短い間に60回も決闘を行っており、これはおよそ3ヶ月に1回というペースで命懸けの試合をしていたということになります。
13歳の頃から、いつ命を落としてもおかしくないような真剣勝負をしているわけです。
現代で言うなら中学一年生が命を懸けて、実戦を重ねてきた大人と真剣勝負をして勝ってしまうということですね。
この時代ががいくら戦国時代と言ってもこれはかなり早いデビュー戦だったのではないでしょうか。
一番有名な話はやっぱり巌流島での佐々木小次郎との決闘でしょう。
巌流島で佐々木小次郎との決闘の時間にわざと遅れ、そのことに対して怒った小次郎に対し、武蔵が「小次郎破れたり」と言いはなち、すぐに勝負が決したそうです。
その上、武蔵は遅れて巌流島に着くまでの船の中で、船の櫂(オール)を削って小次郎と戦うための木刀を作っていたそうです。
このようなところに、伝説の剣豪とだけ呼ばれるだけでなく兵法家としての一面を覗かせていますね。
様々な規格外を持つ男
当時の男性の平均身長は約160㎝程ですが、武蔵は6尺あったと言われていますね。1尺が30.3㎝なので180㎝もの身長があったそうです。
当時の人としてはかなりの大柄ですね、武蔵自身の肖像画は沢山ありますがほとんどのものが大柄の恐ろしい目つき男のように描かれています。
それだけ威圧感のある方だったのでしょう。
また、尋常ではない怪力の持ち主だったそうで、普通の人が両手で扱う刀を片手で振っていたそうです。
これがもとになり二天一流が生まれたそうです。
また武蔵が練習用に竹刀を振ると、振った竹刀が壊れてしまうことがあったんだそうです。
他にも、当時の侍は戦いの美学があったのですが、兵法家武蔵は如何なる方法を使っても勝利する方法を追求していたため、一部の人からは卑怯者と言われていたようですね。
そして、芸術にも精通しており、水墨画のレベルもとても高く文化財に指定されているものもあるそうです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は伝説の剣豪、宮本武蔵について書かせていただきました。
子どもの頃から、大人に負けないどころか勝ってしまうような恐ろしい強さを持った人でしたね。
水墨画が上手だったことなども意外だったのではないでしょうか。
武蔵はイメージや逸話からだけだと荒々しい一面が目立ちますが、実は兵法を自分で考えていたり、水墨画でも高い技術を持っていたりと勉強家であったことが伺えますね。
これだけ、強さに突出している人がさらに強さを求めつつ、戦略や芸術の勉強をして、今もなお色褪せないものを作り出したということが凄いですね。
これらのような知識と技術が、武蔵をただの強い人で終わらせなかった理由なのではないでしょうか。
それでは、今回は以上となります。
最後までご覧いただきありがとうございました。また次回のブログでお会いしましょう。