こんちにんは、yukiです。
今回は、現代社会を生きる私たちには必須の乗り物である飛行機を作ったライト兄弟です。
今となっては、飛行機は何十、何百という人を乗せたり、大量の荷物を海外から運んだりと物流や運送の要の一つと言えるでしょう。
そんな飛行機は全世界で考えると6秒毎に1機は飛び立っているという計算になるそうです。
そんな数の飛行機が飛んでると思うとちょっと怖くもありますね。
ですが、航空事故というのは交通事故に比べ、滅多に起きません。
世界の飛行機パイロットの方々はとても優秀な人達なのでしょう。
ちなみに飛行機のパイロットは弁護士や医者を抑えての年収ランキング1位なんだそうですね。
そこまでの実践練習や勉強、預かる人の命の数を考えると確かに妥当な報酬だとは思います。
「機械が飛ぶことは不可能だよ」
ライト兄弟は名の通り、ライト家の三男、四男でした。
兄はウィルバー・ライト、弟はオーヴィル・ライトと言いました。
当時は、すでに車や蒸気機関車が流通し始めていて、海や川には蒸気船ができていたそうです。
人を乗せ空を飛ぶ乗り物は、熱気球ができ、そこから派生させた飛行船がありました。
まだその頃は、重量の重い飛行機を飛ばす方法はまだ確立されていませんでした。
それまでは空を飛ぶものはグライダーなどが多く、飛行ではなく跳躍というものに近い形だったそうですが、ライト兄弟は主翼をねじることで飛行を制御する方法を作り出し、飛行機を実用化することに一歩近づきました。
しかし、その話を聞いた大学の教授やアメリカの科学者達に「機械が飛ぶことは科学的に不可能」という記事やコメントが新聞などによって発表されたそうです。
成功するまでの執念
ライト兄弟は科学的な視点から飛行のメカニズムを解明し、また技術的工学的な手法を取りました。
グライダーを実際に作り、他の科学者よりもはるかに多い数の実験回数を行い、多くの実験データをもとに飛行技術を身に着けていくようになったのです。
そして、自らパイロットとなり操縦の研究をして動力を追加することに成功します。
その後、ライト兄弟はアメリカ政府主導の実験にぶっつけ本番で挑むこととなり、見事に飛行を成功させました。
ライト兄弟は操舵応答を最優先した飛行機で飛行してこそ、本物の飛行であるという強い信念を持っており、精神論だけでなく飛行練習を繰り返し操縦を練習したことが成功に結び付いたのでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
ライト兄弟は飛行機を開発できるほどの天才でしたが、そこに至るまでには周りからの批判や尋常ではない数の操舵技術の練習やデータの収集といったような執念すら感じるような努力があったのですね。
出る杭は打たれるということわざのように、才能がある人はどの時代でも嫉妬や批判を受けるものなのでしょう。
ですがそんなものにも負けない、研究への気持ちと努力が彼らをここまでの人にしたのでしょうね。
この熱い気持ちがあればどんな困難にもチャレンジしていけそうですね。見習っていきたい部分です。
それでは、今回は以上となります。
最後までご覧いただきありがとうございました。また次回のブログでお会いしましょう。