牛若丸こと源義経

  • 2017年11月14日
  • 2020年3月23日
  • 歴史
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こんにちは、yukiです。

今回は、牛若丸の名でも有名だった武将、源義経について書いていきたい思います。

皆さんが社会の教科書で学んだことがあるのは、彼の兄、源頼朝についてのことが多いのではないでしょうか。

ですが、不思議とドラマや漫画や小説で人気があるのは弟の義経なのです。

そんな義経について今回は見ていきたいと思います。

牛若丸

義経は源義朝の九男として生まれ、幼少の名を牛若丸と名付けられました。

彼の父である源義朝は平治の乱で謀反人と敗死しました。

家族が捕まってしまうことを避けるために、義経の母である常盤御前はまだ幼い義経を抱き大和国(現在の奈良県)へ逃げました。

その後、義経は11歳の時に鞍馬寺(京都)へ預けられ、稚児名を遮那王と名乗るようになりました。

しかし、義経は僧にはならず、鞍馬寺を出ていき平泉に向かいます。

そして、その場に向かうまでの途中の宿で自分で元服までしてしまったそうです。

武将としての義経

兄の頼朝が挙兵すると、義経はその幕下に入るために静岡県まで赴き、頼朝と涙の対面を果たします。

すると、頼朝は義経ともう一人の弟に遠征軍の指揮を任せるようになり、頼朝自身は鎌倉に腰を据えるようになったそうです。

その後、平氏追討を命じられた義経は、平氏の本陣に奇襲をし平氏軍は大混乱に陥り、鎌倉軍の大勝となりました。

その後も平氏を討伐していき、最終的に壇ノ浦の戦いで兵士を滅ぼしてしまいました。

この戦いによって、義経の名は一気に広まり始めました。

兄・頼朝に狙われる

義経の戦いぶりは、多くの名声や人望を得ることとなりました。

そのことは、法皇(当時の天皇)の信用を高めることとなり、武士達の心も集めはじめたそうです。

それをよく思わなかった兄の頼朝は、義経が鎌倉へ入ることを許さず、義経の持っていた土地をほとんど没収してしまったそうです。

頼朝は義経を追討するために軍を率いて動き始めました。

そして、貴族や院が義経を匿っていると疑った頼朝は「義経の味方をしたら大軍を送る」と恫喝をしていったそうです。

義経は正妻と子を連れて、奥州へ向かいましたが、平泉に身を寄せていましたが、館を兵に囲まれてしまった義経は、一切戦わず正妻と4歳の女子をその手にかけ、その後自身も自害したそうです。

享年31歳でした。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は、牛若丸こと源義経について書かせていただきました。

戦国時代とは恐ろしいですね。

初めは感動的な兄弟の出会いだったそうなのですが、政治や様々なことが絡んでくると、ただの兄弟ではいられなくなるのかもしれませんね。

義経は、兄に仕えて言われてきたとおりに従い、素晴らしい成果をあげてきました。

その成果があまりにも影響力があったが故に兄の頼朝に狙われてしまうなんて本当に悲劇ですね。

どんなに仲が良くても社会的な関係性が変わってしまい、周りの対応も変わってしまうと、その相手との関係性も変わってしまうのでしょうか。

自分達を囲う世界が変わってしまっても、自分達の関係性というものはそのままでありたいものですね。

今回は以上となります。

最後までご覧いただきありがとうございました。また次のブログでお会いしましょう。

 

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