燃える闘魂 アントニオ猪木

  • 2017年11月13日
  • 2020年3月23日
  • スポーツ
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こんにちは、yukiです。

今回は、元気があれば何でもできる、燃える闘魂アントニオ猪木さんについて書かせていただきます。

言わずと知れた王道のプロレスラーですね。

最近の方は、実はプロレスラーということを知らなかったという方も中にはいるのだとか。

猪木さんは現在議員としても活動をされていてる、非常にエネルギーに溢れた不思議な魅力のある方ですね。

では、猪木さんがどのような方だったのか見ていきましょう。

力道山と出会いプロレスデビュー

猪木さんの本名は猪木寛至と言い、13歳まで日本で過ごしていました。

ですが、猪木さんの家族は貧乏で日本で暮らすことが苦しかったようです。

そのため、家族全員で貧困から抜け出すためにブラジルへ移住しますが、そこで彼を待っていたのは朝から夕までの重労働でした。

そこにブラジルへ遠征に来ていた力道山の目に留まり、その場で上半身服を脱ぐように言われ、身体の肉付きを見て合格と言われたそうです。

このことには猪木さんも驚いたのではないでしょうか。

いきなり屈強な体の男が近づいてきて、服を脱ぐように催促され「合格」と言われてプロレスデビューさせられるなんてあまりにも唐突ですね。

その後日本に帰国し、日本プロレスに入団されました。

新日本プロレス設立

それから数年間アメリカに武者修行に出て、日本に帰ってきてからは日本プロレスを退社し東京プロレスを設立しました。

しかし、テレビでの放送がなかったことや営業力の弱さから業績はすぐに悪化し、3ヶ月で破産してしまい、もとの日本プロレスに復帰することとなりました。

その後、日本プロレスとの確執から追放処分を受けてしまいます。

そして、いよいよ新日本プロレスを設立するのです。

ですが、テレビ放送もなく、有力な外国人プロレスラーは全日本プロレス(元・日本プロレス)の圧力を受け獲得が難しくなっていたそうです。

そこからは、他団体の大物日本人プロレスラーとの対決や、新たな外国人プロレスラーの育成、外国のメジャープロレス団体との提携などもあり、次第に人気が集まりプロレス黄金時代に突入してしていきます。

プロレスこそ格闘技の頂点

猪木さんは、新日本プロレスのプロレスこそ最強だと呼ぶようになり、その強さを証明するために様々な格闘家に挑戦します。

極真会館の熊殺しの異名を持つ空手家ウィリー・ウィリアムスやプロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリなどの他の格闘技の大物選手を呼び、大々的に異種格闘技戦を行いました。

また、当時ある国の大統領とも異種格闘技戦をしようという計画も持ち上がり、相手も承諾していたそうですが、様々な事情により、実現はしなかったそうです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は燃える闘魂アントニオ猪木さんについて書いてみました。

猪木さんの話は沢山あるのですが、要所をまとめて簡潔にまとめてみました。

これだけでも、猪木さんがいかに型破りな方なのか分かるかと思います。

今までのものを取り壊し、新しいものに挑戦し何度も失敗し、何度も這い上がってきた方です。

この挫けずに、ただただ前に進んで行けるような原動力の源はやっぱり元気なのかもしれませんね。

苦しい時こそ、彼を見習って元気を出していきたいですね。

今回は以上となります。

最後までご覧いただきありがとうございました。また次回のブログでお会いしましょう。

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