こんにちは、yukiです。
今回は、不世出の天才、合気道の達人の塩田剛三先生について書いていきたいと思います。
武道に疎い方でも合気道という名前は、少しくらいは聞いたことがあるかと思います。
かよわい女性でも力の強い男を投げ飛ばすことができる、というような触れ込みで知名度を上げ、一時期は護身術といえば合気道と言われるようなときもありました。
ですが、本当にそんなことが可能だったのでしょうか、だれでも一回くらいは胡散臭いと思ったことがあるのではないでしょうか?
女性が大男を投げ飛ばすなんてドラマの世界ですよね。
では、実際にそのようなことができたのか見ていきましょう。
合気道の開祖、植芝盛平との出会い
塩田は裕福な家庭で育ち、子どもの頃から武道のたしなみがありました。
小学校時代から柔道と剣道を習い、中学校5年生の頃には講道館柔道三段位を取得するほどの実力があったそうです。
身長は154㎝、体重46㎏と当時でも一般的な人よりも小柄な体格でありました。
18歳の頃に植芝盛平の道場を見学することになった塩田は、植芝の動きも門下生の稽古もインチキだと思いながら見ていたそうです。
そこへ植芝自ら、「そこの方、やりませんか」と塩田に1対1の稽古をしないかと声をかけたんだそうです。
武道の腕前に自信があった塩田はその申し出を受け、稽古をつけてもらうことになりました。
すると、塩田は唐突に蹴りを放ちました、が気づいたときには壁際に投げ飛ばされていました。
驚いた塩田は、すぐに入門を決意し植芝の弟子となるのでした。
現代に生きる伝説
塩田は様々な国に合気道を教えに行っていたが、とうとう軍からも要請があり、戸惑っていると植芝から「今のあなたはどこへ行っても、誰とやっても負けません。安心して引き受ければいい」と言われたそうです。
実際の師匠からこのように言われるということは、植芝先生も塩田先生の実力を非常に高く評価していたのでしょうね。
塩田の合気道の演武をあまりにも凄く、やらせではないのか、あんなことが本当にできるのかという意見をよく聞きます。
しかし、実際にセミナーで手を合わせた人はほとんどの人がその技に納得するのだそうです。
ちなみにセミナーで塩田に挑戦した格闘家は、技をかけられ肩を外されてしまったそうです。
その神技は海外にも届いており、当時の大統領弟夫妻が表敬訪問に来る程でした。
また、ここでもその実力を疑われた塩田は彼に同行していたボディガードと手合わせをすることとなります。
ボディガードは塩田より二回りは大きい屈強な男でしたが、圧倒的な力の差で地面に伏されました。
その光景を見た大統領弟はクモがピンで張り付けられたようだった、と評していたそうです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は合気道の達人、塩田剛三先生について書かせていただきました。
内容を聞いてても本当にそんなことがあったのか、と思ってしまうような話ですね。
これだけ達人のレベルに達してしまうと、傍から見てると一般人には神業なのかやらせなのか見分けがつかなくなってしまうようですね。
また体格が人より劣っていたため、努力と創意工夫で技のレベルが上がっていったのかもしれないですね。
それでは、今回は以上となります。
最後までご覧いただきありがとうございました。また次回のブログでお会いしましょう。